祖国復帰四十六周年記念大会記念講演(平成30年5月13日)
沖縄県レスリング協会会長 津森義弘先生
ただいまご紹介をいただきました津森義弘でございます。私からは、前半と後半に分けてお話をさせていただきたいと思います。前半は、私の体験を含めた祖国復帰当時の事を偲び、後半では復帰後のスポーツ界の発展についてお話いたします。
昭和四十年、佐藤栄作総理大臣が沖縄訪問を果たし、那覇空港に於いて「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国の戦後は終わらない」という名演説があったことは、皆様もよくご存じのことと思います。
私は幼少の頃、山口県から沖縄県に家族とともにやってまいりました。その当時は、外国人登録をやっていました。一年に一回、更新をするのですが、手続きが非常に面倒だということで、沖縄県に籍を移して現在に至ります。
高校を卒業して東京に行くことになったのですが、当時必要だったのがパスポートです。当時のパスポートの中身には「本証明書添付の写真及び説明事項に該当する琉球住民津森義弘は、日本へ旅行することを証明する」と、こう書いてあります。そして、今のパスポートには「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう関係の諸官に要請する」と書いてあります。この二つを見比べるとこうも違うのかと感慨深くなります。
さて、昭和四十七年五月十五日、当日は大雨となりましたが、悲願の祖国復帰を果たしました。日本武道館と那覇市民会館にて復帰記念式典が同時に行われ、かつて那覇空港にて名演説を行った佐藤栄作総理は「戦中戦後の沖縄県民の労苦をねぎらい、今後の豊かな沖縄県作りに全力を作りたい」と決意を述べられました。民間団体では、沖縄県の経営者協会が主催して、復帰記念の大会が開かれました。「明るい豊かな県民づくり、共に頑張ろう!」という趣旨の宣言文が採択されました。
そして当時、復帰を記念した三大行事がありました。「沖縄国際海洋博覧会」「復帰記念植樹祭」「若夏国体」の三つです。
海洋博は、世界で初めて海をテーマにした博覧会でありました。沖縄振興を目的としたものでしたが、現在ではこの海洋博の会場が、沖縄美ら海水族館のある海洋博公園となり、沖縄観光の目玉スポットとなっています。
「復帰記念植樹祭」は、かつての沖縄戦の激戦地・糸満市で行われました。戦争によって緑が多く失われた南部地区の緑を復活させようと四千名以上が集まりました。今でも千本以上の植樹が行われております。
若夏国体は、「友情国体」と言われ特別国体として四日間の短い期間ではありましたが、沖縄県全域で行われました。当時、沖縄県体育協会は、離島に行くと大変だということで、本島のみの開催を計画していましたが、県民の後押しも有り、八重山・宮古などの離島でも開催されました。
この若夏国体は、スポーツを通じて、県民生活を明るく豊かにし、皆無に等しかったスポーツ施設を整備し、指導者育成、沖縄の将来を担う青少年に夢と希望を与える絶好の機会となったと、私は考えております。
さて、前半は私の体験を含めた祖国復帰当時の事をお話しさせていただきましたが、後半では復帰後のスポーツ界の発展についてお話いたします。
私は現在。沖縄県のレスリング協会会長を務めさせていただいております。沖縄県が祖国復帰を果たしてから、我が県のスポーツ技能、成績は着実に向上してきました。
ボクシングは具志堅用高さんをはじめとして沢山のチャンピオンを輩出してきましたし、ゴルフでも宮里藍さんが多くの大会で優勝されるなど様々な競技で沖縄県出身の選手が活躍してきました。
中でもめざましいのは、今度の東京オリンピックで正式種目となった「空手」です。この豊見城市にも沖縄空手会館ができましたし、空手への世界的な注目が上がっています。
私の友人に、沖縄劉衛流空手古武道龍鳳会の会長をしている佐久本嗣男さんがいます。彼は世界空手道選手権大会個人形三連覇を成し遂げた男です。非常に有名なので皆さんご存じかと思います。
彼は、どちらかというと非主流の空手流派に属していたため、県内で目立った活躍ができていませんでした。とても力のある選手でしたので、もったいないと周囲は考えていました。そこで、本土の空手大会への出場を勧めて見事優勝して帰ってきました。
その翌年、全日本空手道連盟の笹川良一会長から、世界大会に出るよう促された彼から相談され、彼が海外に行く資金を集めて送り出しました。すると、かれはきっちり世界一の座を獲得しました。その次の年も世界空手道選手権に行きたいというので、またまた資金を集めることになったのでした。
それから彼は世界3連覇7冠の偉業を成し遂げ、この記録はギネスブックに認定されています。その後は、指導者として世界チャンピオンを何人も育てあげています。
冒頭で述べたように、ゴルフ、バスケットボール、ハンドボール、野球の各界で活躍する沖縄出身者がいます。高校野球については、復帰して本土に追いつくことを目標としていた頃、沖縄から大臣が誕生するのが先か、甲子園の優勝が先かと言われていましたが、今ではどちらも成し遂げています。
復帰後、私たちは多くの愛に育まれて、私たちは生きていることを私は忘れてはならないと思っています。改めて祖国復帰の歴史に感謝をしましょう。