日本会議沖縄県本部 特別顧問
中地昌平
今回でこの連載も最後になりました。そこで、これからの沖縄について私の考えを二点述べたいと思います。
一つは、沖縄県の基幹産業を、立て直さねばなりません。かつては、私どもの製糖業が基幹産業と言われていました。しかし、今では事業は大幅に縮小してしまいました。産業とは、会社の社員のみならず、生産者・仲介・小売りなど、その家族を含めると沢山の生活を支えるものです。
沖縄は戦後、インフラもボロボロで、まったくのゼロからの出発でした。経済界も、切った張ったのつぶし合う競争ではなく、切磋琢磨し、皆で協力し合って県経済を立て直してきました。「どうすれば、沖縄県を立て直せるか、自立ができるのか」というビジョンを、一人一人が持っていました。こうして沖縄県を支えてきた経済人の精神を、忘れないでほしいです。
もう一つは、私の考える「沖縄の誇り」とは、「日本人である」ということです。
最近、「沖縄差別」なる事が盛んに喧伝(けんでん)されていますが、明治の初年じゃあるまいし、今頃何を言っているのかと思います。それを先人が「姿」ではね除けて、ここまで沖縄県を発展させてきたのです。現在では、大企業も増え、スポーツ・芸能など様々な分野で沖縄県出身者が活躍しています。本土から観光で沖縄に来る人も、大幅に増えました。差別意識のあるところに、わざわざ観光にやってくるでしょうか。米軍基地も国と協力しながら、少しずつ減らしてきているのです。今になって必要以上に「差別」を言い立てることは、先人の血の滲む努力を無駄にしてしまうのと同じです。加えて、一部の勢力が「琉球独立」を唱えていますが、日本と離れて一体どうしようというのでしょうか。
国というのは国民が心を一つにして発展していくものです。沖縄は紛れもない「日本」なのです。その証に、平成二十四年に天皇皇后両陛下が沖縄県に行幸啓された際には、県民は大変感動し、約四万人の県民が沿道でお迎えし、約七千名が提灯行列にも参加しました。天皇陛下をお慕いする気持ちは、他県にも負けていません。
日本人として生まれ、日本人として沖縄の島に尽くしてきたことが、私の誇りでもあるのです。
私の座右の銘は「百折不撓(ひゃくせつふとう)」です。本当に山あり谷ありの人生でしたが、「日本の為に」という想いは「不撓」でした。これからの沖縄を支える人々には、そういう気概で沖縄を発展させてもらいたいと思います。
(完)