【オピニオン】[中地昌平特別顧問]沖縄、先達の歩み(4)

沖縄の芽吹き

日本会議沖縄県本部 特別顧問
中地昌平

私が製糖業に本格的に足を踏み入れた頃、製糖業は大変盛んでした。今では規模が小さくなってしまいましたが、沖縄の基幹産業であり、県内各地に大小様々な製糖工場があったものでした。

製糖業は、砂糖を扱う業種ですが、「甘い」業界ではありません。むしろ、相場の研究と資金繰りに全力を傾ける“真剣勝負”の業界です。相場は日々変化しますし、砂糖は国際商品ですから、世界規模の社会情勢に影響されます。大局を見極める眼が必要になるのです。

製糖の先輩方に支えられながら、社長として会社を切り盛りして、資金づくりには苦労しました。しかし、中でも苦労したのは、「第一製糖株式会社」の設立でした。

その当時、大小様々な製糖業者がありましたが、それを県で整理しようということになり、既存の小規模民間工場を潰して、一つに纏めることとなりました。県は、工場を閉鎖する補償として「三年間で三千ドル払う」という条件を提示しました。すると、この条件では困るということで、県に反対をする人たちが出てきました。

そこで私は、「補償は全額補償。その代わり、五年間で払います」という条件で、全ての工場を買うことを提案しました。そうしたら、県の条件に困っていた人々が私の提案に乗ってくれて、皆ついてきてくれたのです。

多くの人々は、長く時間がかかっても「全額補償」をしてくれる方が良いと考えたのです。その後、契約を交わし、株式会社化して設立したのが、「第一製糖株式会社」でした。

これは私が体験から得た「交渉のコツ」でした。その後も、砂糖の自由化など、様々な荒波に揉まれることとなりますが、この経験は生きていくこととなり、県内でも「大手」と呼ばれる会社にすることができました。

この「全額補償」という考え方は、今の基地の整理縮小にも言えることだと思います。明日から突然基地をなくせるわけではありません。基地に関係する県民も沢山いて、一人一人に生活があります。基地労働者の待遇や、軍用地主など腰を据えて補償をする必要があります。民間には、感情があります。百%面倒を見るという安心感を持ってもらわないといけません。そういう大局を見据えながら、基地問題は解決していかねばならないと思います。
思えば、小学校を出て製糖業に関わり、沖縄に戻ってからも製糖に関わった私の人生は「製糖一筋」でした。様々な人々に支えられた人生は、私の誇りです。

(全五回を予定しています)

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